木を見ていただけなのに、人が集まってきた 〜私のクンダリーニ体験〜

道端に立って、ただ木を見ていただけなのに、見知らぬ人が次々と話しかけてきた。

あの時、私の中で何が起きていたのか。


2002年、私はオーストラリアに住んでいました。

道端やショッピングセンターの入り口で、障がいのある方が作った陶器を販売し、募金を集める仕事をしていました。英語もままならず、足早に通り過ぎる人々に笑顔を振りまくだけで、商品はほとんど売れない毎日でした。

ある日のことです。

仕事中、正面に立つ木が異様に美しく見えました。枝葉の輪郭から光が溢れ出すようで、見惚れていました。

皮膚が光の粒子に溶けていくような感覚。自分がどこまでも広がっていくような。
息を吸うたびに、空気は甘露のように甘い。

気づくと、人が次々と寄ってくるのでした。

「ちょうど友達のプレゼントを探していたの」と陶器を買う人。
「その訛りチャーミングね」とお札を入れてくれる人。
「君を見ていたら幸せな気持ちになってね」と微笑む人。

私は何もしていないのに。ただ、木に見惚れていただけなのに。


ダンスのワークショップでの衝撃的な体験

その日の仕事の前日、「クンダリーニダンス」というヒーリングダンスに参加した私は、これまでにない不思議な体験をしました。チャクラを刺激する呼吸法とダンスを繰り返していると、背骨の奥にうねるような熱いエネルギーを感じ出したのです。

その内に私の身体は激しく振動し始めました。自分ではどうすることもできないほどの力でした。立っていられなくなり、床に倒れ込みました。

しばらくして、震える身体の奥底から凄まじい圧力が突き上がり、どこかへ一気に放出されました。正直、どこへ抜けたのかは覚えていません。それほど強烈なでした。

そのあと、深い静けさが訪れました。

そして、圧倒的な歓喜と恍惚感。

世界との境界が消え、万物と一体になったような感覚が広がりました。その瞬間、私は「愛そのもの」でした。


世界が変わって見えた

それから約一週間、私の感覚は完全に変化していたのです。

すべてのものが立体的に、輪郭から光が溢れ出すように見えました。息を吸うたびに空気が甘く、細胞が歓喜しているよう。自分の内と外の境界が消えて、世界全体と一体である濃厚な安心感が感じられます。

あの木の前に立っていた私は、思考もエゴも手放し、まるで木そのものでした。

だから人は、そこに何かを感じたのだと思います。安心感や幸福感、まるで自分自身を見るような親しみ。


歓喜の後に来たもの

一週間が過ぎると、私は「普通の自分」に戻りました。

英語も満足に話せず、望む仕事にも就けない自分。あの恍惚との落差はとても大きく、深い落ち込みが襲ってきました。

その体験を理解したくて、また絶望のような精神状態を立て直すために、人間のエネルギーシステムやヨーガを学び始めました。そして強く思うようになりました。

「もう一度、あの状態になりたい。クンダリーニを覚醒させたい」と。

今思えば、それはとてもエゴ的な願いでした。でもその時の私には、まったく見えていませんでした。


本当に大切なことに気づくまで

数年後クンダリーニヨガのティーチャートレーニングに参加し、連日クリヤを続ける中で、ずっとオブラートに包んでいた自分のエゴが表面化してきました。

「スペシャルな人になりたい」という願いが、「愛のため」という言葉に隠れていたこと。

それをとことん見て、嫌悪して、それでも受け入れた時、何かが変わりました。

クンダリーニは「得るもの」ではなかった。

すでにそこにある何かが、邪魔されなくなった時に流れるものでした。


あなたの中にも、同じものがある

あの時の私に必要だったのは、特別な能力でも覚醒でもありませんでした。

ただ、木の美しさに気づく余裕と、自分がすでに光であるという感覚。

それだけでした。

クンダリーニ覚醒とは、何か特別なものを得ることではないと、今は感じています。
魂の自分で生きること。日々の小さな選択の中で、自分の本質を表現していくこと。

それこそが、クンダリーニが目覚めていく生き方です。

そしてそれは、あなたの中にも、すでにあります。

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